こんにちは、平岡中央教室の小中谷です。
小学6年生になりますと、社会の時間が「愉しみ」なこどもたちが増えてきますね。
近年は公民分野が先で歴史が後回しになりました。
「先生のオシの人物はだれですか?私は黒田官兵衛です!」
歴史に目覚めた小6女子の私への問いでした。
■黒田官兵衛(1546~1604)
黒田官兵衛は「痛い目にあって生き方を修正できた切れ者」という人物だと思います。
黒田家は播磨国(現在の兵庫県)の小さな土豪で小寺氏に仕えていました。
周辺には毛利氏、三好氏、織田などの強力な大名がおり、信長の革新性に注目した官兵衛は織田氏への服属を主家である小寺氏に進言し受け入れられます。
しかし、信長の苛烈さに不安を覚えた武将の一人である荒木村重が信長に背き毛利氏についてしまいます。官兵衛は自分の才覚なら村重を説得できると単身村重のもとに赴きます。その結果村重に捕えられ1年もの間、土牢に閉じ込められてしまいます。救出された官兵衛は、髪は抜け皮膚病に、左足は不自由になってしまいます。
有馬温泉での療養生活を終えた官兵衛は、羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉に仕えます。秀吉が毛利氏と対決中に本能寺の変で信長が討たれたという報せを受け、嘆く秀吉に「ご運がひらけましたな!」と励ましたのはこの時です。
その後も秀吉の元で功績をあげ、策士ぶりを発揮していきますが、秀吉は官兵衛の才能を警戒します。その最もたるのが秀吉の「私の死後、天下をとるのは官兵衛だろう」という言葉。
これを耳にした官兵衛は、黒田家の家督を長男長政に譲り隠居します。官兵衛、この時44歳。
才能があまりにもありすぎる人物はとかく警戒されます。村重のもとで監禁された1年の経験、二度と味わいたくはなかったでしょう。痛い経験をしたからこそ、自分は警戒されているな、と感じ即座に身を退けたのだと思います。才能があるからこそ、身を慎む、黒田官兵衛のエピソードでした。
■成長に失敗はつきもの
「出来る」ようになるには
「失敗」はつきもの
数多くのトレーニングの中で
修正しアップデート
その積み重ねが成功を生むのです。
〔さいごに〕
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