こんにちは、平岡中央教室担当、小中谷です。
平岡中央教室では中1、中2ともに各学年で習うべき地理分野の学習が終わりました。地理が終わった、ということは...。そう、歴史に突入します。
私、週1回だけ平岡緑教室で授業を担当しておりまして、そこの中3塾生(仮にHくんとします)とよく歴史の話をします。彼は中国史に大変詳しく、一番興味のある人物は?と聞いたところ、「明の万暦帝」(ばんれきてい)と答えてくれました。中学生でこの名が口からでてくるとは、かなりマニアック...。彼の期待に応えるべく(?)少しだけ調べてみました。
さて、タイトルにある1582、ですが察しのいい方は西暦の1582年のことだなと思われたでしょう。日本では、織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた「本能寺の変」が起こりました。そして、光秀を討伐した羽柴秀吉(豊臣秀吉)が天下人になります。
東シナ海を隔てた中国(当時は明)でも後に歴史を動かすことになる、とある人物が覚醒した年でもあります。その人物とは...。
〔万暦帝〕
皇帝に即位したのは1572年、まだ10歳のこどもです。こどもの万暦帝を補佐したのが、鉄腕宰相と呼ばれた張居正。彼は万暦帝を理想の皇帝にすべく「厳しく」教育します。有能だったのは間違いなく、赤字だった明の財政を黒字に転じさせたのです。しかし...。 強引な手段を用いることも多く敵が多かったのです。万暦帝自身も自分を抑えつける張居正のことを本当は嫌っていたのでしょう。
運命の1582年、厳しい補佐役の張居正が亡くなります。こわ~い見張り役がいなくなった万暦帝、箍(たが)が外れたような暴走モードに突入します。政治に関わろうとしない(20年間皇帝としての仕事を放棄)、息子の結婚式に国家予算の大半をつぎ込むなどやりたい放題...。張居正が立て直した財政を、万暦帝はあっという間に赤字に転じさせてしまいます。
〔万暦帝、秀吉の意外な共通点〕
秀吉は信長の地盤を引き継ぐかたちで全国統一を成し遂げますが、とある人物を失ってから万暦帝同様、暴走モードに突入します。弟の豊臣秀長です。秀吉に意見できる唯一の人物であった彼がいなくなってから、明征服を計画し朝鮮へ出兵、結果豊臣政権衰亡を早める結果になります。
また、万暦帝は秀吉に攻められた朝鮮への援軍派遣以外に、国内の大きな反乱を二つ鎮圧しなければなりませんでした。「万暦の三大征」といい、明の衰退、そして滅亡につながるきっかけになるのです。
万暦帝と秀吉二人の共通点、それは二人とも有能な補佐役を失ったことで、自身をコントロールすることができなくなり、政権滅亡のきっかけを作ってしまったのです。
〔おわりに〕
1582年、歴史の表舞台に立った万暦帝と豊臣秀吉。記事を書いている途中で、この二人は有能な補佐役を失ったことで自分をコントロールすることができなくなったという共通点があることに気づいたのです。また一つ、新たな発見をすることができました。Hくん、ありがとう!また、中国史の話をしようね!
今回の教訓 「自分をコントロールしてくれる人を持とう」
〔この記事をお読みの皆様へ〕
9月も後半にさしかかりました。それにしても夜は気温が低いですね。塾生たちも袖の長い服を着始めました。体調管理には十分注意してください。これは私からのお願いなのですが、マスクは常に携帯してほしいのです。テストを一ケ月後に控え、今体調を崩すわけにはいきませんから。ご理解とご協力をお願いします。
最後にご案内です。ニスコ進学スクール平岡中央教室では、ニスコが初めてという方のために、授業体験、学習相談を承っております。先日もご来訪された方がいらっしゃいました。気持ちを切り替えてがんばりたい!是非、お待ちしております。
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