テスト対策がひと段落、平岡中央教室担当小中谷です。
さて本日の切れ者は、最後の海軍大将、戦後は英語塾を開いた切れ者、井上成美(いのうえしげよし)を紹介します。
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井上成美(1889~1975)
太平洋戦争中、英語は敵国の言語であるとして使用を禁止されていました。しかし、井上は戦後世界を見据えて、英語教育は必要であると考え、英語の教育を続けました。
井上成美の大変興味深いエピソードがこちらです。
1939年第2次世界大戦が勃発、日本はドイツの勢いを見て、ドイツと同盟を結ぼうと世論がわき立ちます。ドイツと手を組もう、という声は海軍の中でも多く、ヒトラーの『マイン・カンプ』(邦題『我が闘争』)に触発され、鼻息が荒かったのです。しかし、井上は冷静でした。海軍の軍人たちが読んでいた『マイン・カンプ』は原書の一部訳で、肝心な内容が抜け落ちていたのです(ヒトラーの日本観、ちょっとここでは文字にしたくないので割愛します)。
井上は鼻息の荒い軍人たちの前で、『マイン・カンプ』の原書、ヒトラーの日本観をドイツ語で朗々と読み始めます。そんな内容は書かれていません、軍人たちは慌てますが、井上が所有しているのは原書ですから説得力が違います。
開戦後、井上は前線の指揮を一度とりましたが、日本本土に戻ったあと、海軍学校の校長になり、先ほども書きましたとおり、禁止されていた英語の教育を続けました。
戦後世界を見据えて...。
敗戦後は、神奈川県横須賀市で英語の塾を開き、こどもたちに英語を教え、1975年に生涯を終えます。
〔今回の教訓:耳心地のよい情報は原典をたどり、たしかめる〕
私が井上成美を知ったきっかけは一本の映画でした。その中で井上成美を演じていた俳優さんが柳葉敏郎さん。そこからどんな人物なのか興味を持って調べましたとこ
ろ、戦後は英語の塾を開き、こどもたちに英語を教えていたことを知りました。板書写真を見ましたが、きれいな筆記体。今回、英語講師の端くれである私の「人生の先輩の一人」を紹介させていただきました。
切れ者シリーズも第7弾、次はだれにしましょうか...。リクエスト、お待ちしております。
【おわりに】
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