真駒内教室長の伊藤です。
唐突ですが、私は登山家です。
別にそれで収入を得ているわけではないのですが、こういうものは名乗った者勝ちです。
汗にまみれてひたすらに登り続けている時は、いろいろな雑念を忘れて無心になることができます。私はこの、何かに必死になっていて他の事を何も考えられなくなる時間が好きです。日常の中では、休んでいる時でもやはり常に何かを心配してしまったりして、頭を空っぽにすることはなかなか難しいものです。山はそんな自分をリセットしてくれる場所です。
さて、この時期は塾生から志望校に対する相談を頻繁に受けます。その中の一つに、
「特にこれといって行きたい高校がないんですけど、どうすればいいですか?」
というものがあります。
同じような思いを持っている生徒は多いと思います。
私はその時はいつもこう答えています。
「まだ時間はあるし、慌てずに考えてごらん。ただ、決まっていないのなら、今の時点ではできるだけ学力の高い高校を考えておくといいよ。」と。
山はどの山も違った魅力があります。藻岩山(531m)も三角山(311m)も円山(225m)も素晴らしい山です。
タイトルの「山、高きが故(ゆえ)に貴(たっと)からず」とは何事も外見だけでは決まらないというのが本質ですが、このように低山でもそれぞれの味があるという意味でも使われます。
しかし、厳しく高い山にはそれを登った人でないと味わえない充実感や絶景があることもまた事実です。
私は羊蹄山(1898m)や利尻山(1721m)も登りました。これらの山は往復で8時間近くかかります。疲労困憊で足はガクガクになりますし、頂上付近は時期によっては厳しい風と寒さにさらされます。利尻山などは場所が場所なので家から三日がかりの登山でした。
それでも登り終えた時の満足感は何ものにも代えがたい。そして頂上では、低山よりも遥か彼方まで見渡すことができるのです。今、この四方100km圏で自分が一番高いところにいる。そう思うとワクワクしませんか?
私は高校選択もこれと通じるものがあると思っているのです。どの高校も必ずそれぞれの良さがあるでしょう。しかし、今の時点でほぼ100%合格できる高校よりも、努力を重ねて合格を勝ち得た一つ二つ上の高校の方が喜びも大きく、より可能性に満ち溢れています。より大きな未来を見渡すことができるのです。
また、刺激を与えてくれる才能を持った学友もたくさんいるはずです。(南高校や北高校だと、特定の分野では既に大人の世界に置いてもトップレベルの力を持った人たちが結構いたりします)
俗な話になってしまいますが、各高校ではそもそも教科書が違います。その学校のレベルに応じた教科書を使用しますので、その時点で...。この先は書かずともわかると思います。
そういった私なりの考えから、相談に来た塾生には、
「できるだけ学力の高い高校を考えておくといいよ」
と伝えているわけです。山は何度も登ることはできますが、高校は特別な事情がなければ一度きりですから、より慎重に選択していきたいものです。
ちなみに道内の最高峰、北嶺中・高等学校の校訓を御存知ですか?
「目は高く足は大地に、めざすなら高い嶺」
※嶺とは頂(いただき)、頂上のことです。
至言だと思います。まだまだ私もこの仕事の五合目にすら到達していません。こんな素晴らしい言葉を塾生にかけてあげられるように、日々精進していきます。