真駒内教室の伊藤です。
すっかり気温も下がり秋を感じる今日この頃、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
昔から「読書の秋」と申しますが、私はこの時期は逆に忙しく、なかなか本を読む暇はありません。
その代わりといってはなんですが、私はここ十数年、「道コンに出題された小説を買って、講習会後の休み期間に読む」という習慣があります。道コンでは北海道にゆかりのある作家の作品が取り上げられることも多いので、そこから興味が湧いていろいろ調べ始めたりすることもあります。
さて、今年の夏期講習会なのですが、今回は道コンではなく中3の本講座テキストに読んでみたいと思わせる作品があったので、そちらを選ぶことにしました。
三浦しをんさんの『神去なあなあ日常』(徳間書店 2009)です。
神奈川県の都会に住む少年が高校卒業後、三重県の山村で林業に目覚めていくという筋の話で、主人公は最初、反強制的に就職させられて脱走を試みたりするのですが、村の人々との交流を通じ次第に山仕事に魅了され、責任感を持つようになり、一人の人間として大きく成長していきます。(ちなみにこの就職は中2の社会に出てくる「緑の雇用」制度です)
文体も軽やかで、中3なら抵抗なく読めるのではないかと思いますので、お勧めです。
私は一気に読んでしまい、すぐに続編の『神去なあなあ夜話』(徳間書店 2012)も買いに行って続けざまに読了しました。
また、これらの作品の取材について書かれたエッセイが実は小学6年生の国語の新演習に載っています。
さて、「国語力をつけるために読書を」、という人もいますが私は正直どうかなぁと思います。私自身、幼いころから国語の力をつけようと思って本を読んだことなどただの一度もありません。
ただ面白いから読む。それだけです。本来読書って楽しいものだと思うんです。先が知りたいから夢中でページをめくる。読み終わった後は、この作者が書いた他の作品も読んでみたい、これの繰り返しでした。
国語力をつけたいから読む、というのはなんだか苦行みたいで、読書の本質とは違うような気もします。
「楽しいから読んでいき、そのうちに国語力がつく」というのが自然な感じがするのです。もちろん「国語力をつけるために読んで、そこから本を読む楽しさに目覚める」こともあるでしょうから、一概に否定はしていません。
ただ、私の幼い頃はそもそも本、マンガ、テレビくらいしか娯楽がなかったので、必然的に読書に触れやすかったという側面もあると思います。
今のように、スマホですぐにゲームや動画にアクセスできる環境であれば、私もそちらに興味がいっていたような気もします。どちらが幸せかはわかりませんが。
ところで先ほど、「一気に読んだ」と書いたのですが、実はここ数年著しく集中力が衰えて、1つの章を読んだら一旦休憩、一休みしてから次の章へ...という具合で、長い時間読むことができなくなってきました。
若い頃は読み始めたら寝食を忘れるレベルで延々と読み続けることができたのですが(中学生のころ、司馬遼太郎の『龍馬がゆく』という作品を丸二日寝ずに読み続けて、その後16時間ぶっ続けで寝ました)、寄る年波には勝てません...。