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2024.05.10

ニスコ進学スクール 平岡中央教室

北海道偉人シリーズ②  ~現代札幌の父 高田富與~

こんにちは、平岡中央教室担当の小中谷です。

 

努力は自分だけではなく、他人をも、いやもっと大きな何かを変える力がある。

今日は、現代札幌の礎を築いた高田富與市長(1892~1976)について語らせていただきます。

 

1.出生から青年期まで

高田富與は明治25(1892)年、福島県に生まれました。家族は父と母、そして弟が一人。父は請負業を営んでおりましたが暴行事件を起こし服役、出所後もその品行は悪く(賭け事など)、富與の母は苦労の連続でした。

 父は再起を図り北海道の小樽へ渡り、行商を始めるも収入は高くはなく、富與10歳の明治35(1902)年、母と弟とともに北海道へ渡ります。

 渡道後、母は札幌で小さな八百屋を、富與は小学校に通いながら豊平橋のたもとでリンゴや煮豆を売って家計を助けていたそうです。

 幼いころから頑固で負けず嫌いな富與は、現在の中学1、2年にあたる高等小学校をトップの成績で卒業、江別郵便局に勤務します。

 そんなひたむきな息子の姿を見て、父は心を入れ替え琴似の村役場に勤め始めます。母は産婆の資格を取得、高田一家にようやく平穏が訪れます。富與の直向な姿勢が、ダメダメだった父親を変えたのです。

 

2.富與、教師になる、そして弁護士へ

 一家が経済的に安定、富與は以前からの夢であった「教師」を目指します。北海道帝国大学と並ぶ難関校北海道師範学校(現在の北海道教育大学の前身)にまたもトップの成績で合格、天塩小学校で2年勤めたあと山鼻小学校で教鞭をとります。

 ここで教師時代の富與のエピソードを紹介します。教員の給与削減という行政の通達に対しても正義感の強い富與は区長に対して率直に意見します。

現在の感覚では区長に物申すのは権利として保障されていますが、明治、大正のころは違います。一教師が区長に対して意見するなど許される時代ではありません。

しかし、臆することなく区長に意見した富與は、人々の間で一目置かれる存在になります。

 もっと大勢の人を救う仕事をしたい、29歳の富與はつぎに弁護士を目指します。2年間の苦闘の末、弁護士試験に合格します。

 

3、弁護士、そして市議会議員へ

 さて、ここで問題です。昭和5(1930)年当時、札幌市の小学校、1学級あたりの平均児童数は何人ぐらいでしょう?

なんとその数69人!80人学級もあったというから驚きです。現在の2倍以上、どのような授業風景だったのか想像がつきません。友人の教師から相談を受けた富與弁護士、「政治家や教育者が動かないなら俺が現状を変える!」と持ち前の正義感発動。

市議会議員に当選、当時の橋本正治市長はその熱意に動かされ、教育問題は改善されていきます。富與の人のために尽くす人柄が、またもや大きな変化をもたらしましたのです。

 

4.北海道綴方連盟事件と富與弁護士

 この記事を読んでいる方の中に中学3年生はいますか?大正14(1925)年に制定された「治安維持法」について少しだけ触れますね。革命によって帝政ロシアが崩壊、その後社会主義国家であるソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立、1925年1月、日本とソ連は国交を樹立します。社会主義革命を恐れる政府によって制定されたのが「治安維持法」です。当初は社会主義革命防止のための法律、そう理解してください。昭和3(1928)年、改正治安維持法では国のあり方を変えることを目的とした結社を組織することが禁止されます。

 さて、ここで「綴方」(つづりかた)について説明します。簡単にいうと「作文」の授業です。何を書いて良いかわからなくて悪戦苦闘する当時の小学生の姿は、三浦綾子さんの小説『銃口』にも描かれています。この作文の授業すらも、「治安維持法」の検挙対象になるのです。例えば、「ぼくの家は貧しいけれども...」と書いたとしましょう。貧しい→生活への不満→社会主義への傾倒→国家体制への反逆、と本気で考えていたようなのです。

作文教育に対して熱意をもっていた教師たちの集まり、それが北海道綴方教育連盟です。昭和15(1940)年から翌年にかけ「貧困などの課題を与えて児童に資本主義社会の矛盾を意識させ、階級意識を醸成した」とされ、11人が有罪となった「北海道綴方教育連盟事件」。富與は後輩教師のため、弁護を引き受けます。この間に行われた市議会選に落選、収入を絶たれながらも3年間もの間、弁護活動に没頭します。富與の持ち前の正義感、人のために尽くす人柄を知る人々によって援助はあったようですね。

 

5.今の札幌があるのは高田富與市長あってこそ

 最後に、戦後の高田富與さんの足跡をたどっていきましょう。1946年、初めての男女普通選挙による衆議院議員選挙が行われました。翌年の1947年、高田富與氏は札幌市長に当選、1959年まで12年にわたり市政の舵取りをします。

市長在任中の出来事を紹介しますね。

・1950年 第1回札幌雪祭り開催

・1951年 円山動物園建設を推進 

・1956年 さっぽろテレビ塔建設

・1958年 札幌市民会館建設(現札幌市民ホール)

       藻岩山観光施設整備開始

・1959年 札幌市中央卸売市場開設

 現在私たちがお世話になっている円山動物園も、雪祭りも高田市長時代に基盤が整備されたものなのですね。

 戦前の市議時代には、藻岩発電所、藻岩浄水場、円山総合運動場建設にも尽力しています。文字通り、私たちが札幌市で暮らすことができる基盤を作った方、それが高田富與氏です。ちなみに、富與市長就任時の札幌の人口は25万人、12年後退任したときには2倍以上の52万にまで増加しました。富與市長の人のために尽くすという人柄が、札幌市をも大きく変えたのでした。

 札幌市長を退いた後、衆議院議員に2度当選、昭和51(1976)年、84歳で生涯を閉じます。葬儀には、高田富與を惜しむ市民の列が途切れることなく続いたそうです。

 

 それでは、高田富與さんの遺した言葉で締めくくりたいと思います。

 

物欲を去れ、名誉欲を去れ、人の喜びを喜びとし、人の愁いを愁いとせよ

■人は人の生き方に学ぶもの ~己以外皆師也~

 自分のことは二の次にして人のために尽くす、そう簡単にできることではありません。自分の信念を曲げず人のために尽くす。その姿勢が高田家の経済状況を変え、ダメダメだった父親を変え、札幌の教育環境を変え、綴方連盟事件で検挙された教師の支えとなり、そして札幌の運命をも大きく変えました。

 人は人の生き方に学ぶ、私もまだまだ学びたいと思います。何か大きなことを成し遂げる人には「(頑固で)負けず嫌い」なケースが多いようですね!

 

【参考図書】

STVラジオ編『ほっかいどう百年物語〈第四集〉北海道の歴史を刻んだ人々』(中西出版、2004年)

佐竹直子『獄中メモは問う 作文教育が罪にされた時代』(北海道新聞社、2014

 

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