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2026.03.31

ニスコ進学スクール 平岡中央教室

切れ者たちの生き方に学ぼう ~第2弾 咄嗟の機転で大藩を救った 伊達宗村~

こんにちは、もうすぐ新学期。ニスコ進学スクール平岡中央教室の小中谷です。

 

今回はシリーズ第2弾、咄嗟の機転で多くの人々を救ったお殿様のお話をさせていただきたいと思います。

 

  • 仙台藩第6代藩主 伊達宗村(1718~1756)

〔宗村の生い立ち〕

 江戸時代8代将軍徳川吉宗の「享保の改革」が始まって間もない1718年、第5代藩主伊達吉村の嫡男として生まれた伊達宗村は、待望の嫡男として将来の藩主たるべく教育を施されます。宗村の生い立ちを語る上で、父吉村の存在はかなり大きなものだったと思われます。吉村は仙台藩主の直系ではなく、4代藩主に後継者たる男子がいなかったことにより、仙台藩では初めて一族から養子として迎えられた藩主でした。

 

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 そのため、吉村はかつて同列だった一族を家臣として扱わなければならず、その統制に苦労しながら、破綻しかけた藩財政を立て直したのでした。

 その父吉村が宗村の侍講(家庭教師)としたのが、田辺希文(1693~1772)。彼は、儒学、神道、兵法などあらゆる道に精通した一級の人物でした。

 この記事では紹介できませんが、様々な情け深いエピソードを残す宗村の人格を形成する上で、田辺の教え、とくに儒学の影響は大きかったと思われます。

 

〔1747年、江戸城での事件〕

 宗村28歳の時のことです。宗村が江戸城に登城した折、肥後熊本藩54万石の藩主細川宗孝が何者かに襲われ亡くなるという事件が起こりました。発見当時、宗孝はすでに亡くなっていました。当時、大名が後継者を指名することなく亡くなるとその藩は改易、つまり取り潰されてしまうのが決まりでした。熊本藩のような大きな藩が取り潰されてしまうと大名の一族だけではなく、その家来と家族が行き場を失うことになります。その危機を救ったのが伊達宗村です。彼は次のように言葉を発したと言います。

 

「細川家の方々、宗孝殿はまだ息がある。屋敷に連れ帰って養生させよ」と。

 

 加賀前田家、薩摩島津家についで、伊達家は石高でトップ3に入る大大名、その藩主が「生きている」と言ったらたとえ亡くなっていたとしても、「生きている」ことになります。その一言はとても重みがあるのです。

 

 なぜ宗村は、合戦がなくなって久しい江戸時代の中期、大名が突然襲われて亡くなるという異常事態の中で、しかも28歳の若さで咄嗟に気転をきかせることができたのでしょうか。

 

 父吉村の苦労している姿、そして師田辺希文の教育により、藩主たるにふさわしい心構えを学び、そして宗村自身の慈愛の心が彼にあの一言を言わせたのではないでしょうか。伊達宗村は「気配りの切れ者」といって差し支えないでしょう。

 

 宗村の機転により、熊本藩は無事存続することができ、兄宗孝の後をうけて名君細川重賢が登場します。

 

 さて、後日談。仙台藩でも取り潰しの危機がありました。宗村の曾孫にあたる周宗(ちかむね)が後継者を決めないままに17才で亡くなります(奇怪なことにその3年前にすでに病死していたという説もあります)。江戸の前期なら仙台藩はまず間違いなく取り潰されていたでしょう。

 

 しかし幕府は仙台藩を取り潰すことをしませんでした。なぜでしょう?もしかしたら、熊本藩を救った宗村の行いが、仙台藩を存続させたのかもしれませんね。

 

【今回の教訓:咄嗟の機転が多くの人々を救い、子孫をも救うことがある

 

次回は、成功した切れ者ではなく「失敗した切れ者」を紹介しようと思います。

 

〈さいごに〉

講習会はすでに始まっていますが、途中からの参加も可能です。とくに、新学期からニスコ進学スクールへの通塾をお考えの方は、途中からでも参加しますと(画面下、春期講習会実施要項をご覧ください)、「入会金全額免除」「4月分月謝免除」の特典がございます。

ただし、道コンの受験が必須になります。受験料は画面下、春期講習会実施要項をご覧ください。ニスコ進学スクール平岡中央教室でお待ちしております。

 

皆様のお問合せ、お待ちしております。

 

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