真駒内教室長の伊藤です。
真駒内教室では一部の中学校の定期試験が終わりました。しかし、まだまだ多くの中学校の試験が控えており、塾生は学びを深めているところです。
そんな中、「家ではなかなか集中できない」ということについて、塾生たちと話す機会がありました。
正直なところ、私は他の教室長たちほど自習室絶対主義ではありません。真駒内教室は遠くからバスで通っている塾生も多く、来るだけでも一苦労になってしまう人もいるからです。
(例外的ですが、昨年の冬期講習会では留寿都(るすつ)村から通っていた生徒もいました...)
家でも学校でも図書館でも、自分が集中できるところを見つけられればそれでいいと思います。
ただ、やはり自習室にはそれなりのメリットがあるとも思っています。これについては後ほど述べます。
ところで、現代の子供たちにとって、勉強の第一の敵はやはり「スマホ」です。
これは論をまたないですね。塾生たちも自宅で勉強する際は、これをどうにか遠ざける努力をしているようです。
では、スマホのない時代の子どもたちは、皆、家で集中して勉強できていたでしょうか?
そんなわけはないんですね。スマホがなくてもテレビを見たりマンガを読んだりして、結局はそう簡単には集中できない試験勉強の日々を送っていたわけです。
私は勉強をいざ始めようと意気込んでも、なかなかスタートできず、意味もなく机や部屋の掃除をしてしまうという癖がありました。この時に古いノートなどを見つけてしまうと、しばらくの間それに没頭してしまい、気づいたら時間が経っている...なんていうことがよくありました。
このことを中1に話したところ、「めっちゃわかる!」と、とてつもなく共感されました。多分、今年一番の「わかる」だったと思います。
この半年間、中1には国語も社会も理科も教えてきましたが、こんなにわかってもらえたことはなかったですね...
それはさておき、この話から伝えたいことはスマホの有無にかかわらず、いつの時代も集中する子は集中してやりますし、そうでない子は何か別のことに気が逸れていくということです。
極端なことを言えば、「紙と鉛筆だけ」という状況を作っても、お絵かきを始める子もいるわけです。
ですので、私は「第三者の目」というものが大切だと思っています。
これは我々講師が見ているのが一番ですね。さすがに私たちの目の前でお絵かきはできないでしょうから。
それ以外でも、他学年や他中学の生徒の横で勉強することは、一定の緊張感を生み出してくれます。仲の良い友達同士では逆効果になってしまうこともありますので、自習室はできるだけ一人で来るべき、というのが私の考えです。全くの無関係ではないけれど、親しく話したりする関係ではない人と同じ空間で勉強するのがベストだと思います。
長くなってしまいましたが、私はこのように、ある程度「見られている」という状況を作るという点において自習室は勉強に適した空間だと考えています。もちろん自習室がうるさいようでは論外ですが。
ただ、本当は家だろうがスマホがあろうが、一切関係なく集中することが理想ですよね。そういうことがきっちりできている塾生を見ると、立場を忘れて尊敬してしまいます。
私自身も苦労しましたから...。集中できない塾生の気持ちはとても「わかる」んです。
全体を俯瞰するだけではなく、あの頃の自分の気持ちを思い出し、必ず生徒の目線に立って考えてみること。変わらない想いを強く込めてこれからも指導に当たっていきます!