こんにちは、平岡中央教室の小中谷です。
前回の記事で、昔話を紹介させていただきました。今日はそのタネあかしをしますね。
舞台は、1854年の函館(当時は箱館)です。
太平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず
1853年、アメリカのペリーが日本の開港を求め浦賀にやってきました。アメリカ人を見たことがなかった江戸の人々は彼を「天狗」であると思ったようです。
江戸幕府は、1年後に回答する旨を伝え、その年は帰ってもらいます。その時ペリーが
I'll be back! と言ったかどうかは定かではありません。
翌1854年、ペリーは再び日本にやってきました。その際に結ばれたのが日米和親条約。
その内容は全12条、下田(現在の静岡県)と函館(北海道)の開港、アメリカ領事の駐在などを認めたものでした。
皆さんは条約調印後ペリーが箱館に来たことをご存知でしょうか?条約が効力を発揮するその前に...。
当時の箱館は条約の内容も知らされず、幕府の役人もいませんでした。ペリーは条約の取り決めにはなかった無茶な要求をします。その対応をしたのが、松前藩家老松前勘解由(まつまえかげゆ)という人物。条約の内容もわからない、もしもペリーの要求を呑もうものなら、勝手な判断をした!と幕府に藩を取り潰されてしまうかもしれない。そこで勘解由は、のらりくらりふにゃりふにゃりとペリーの要求をかわします。イエスともノーともいえないその返事にさすがのペリーもイラっとしたらしく、こんな手記を残しています。
「勘解由は明らかに無気力な男で、なにか責任をとることを恐れているにもかかわらず、全ての拒否を、穏便にあたかも私どもに同意さすことを望んでいたらしかった」
ストレートにものを言わない日本人の、相手を傷つけないようにやんわり拒否する「意図を察して」ポーズをここに垣間見ることができますね。まあ、責任回避に見えないこともないですが...。
さて後日談。ペリーの「口撃」をのらりくらりとかわした松前勘解由、なんと13代将軍徳川家定のおほめにあずかり、たくさんの褒美をもらったそうです。
この出来事を「松前勘解由のこんにゃく問答」といいます。以上の出来事が、私の作った昔話の元ネタです。以前、北海道が生んだ老中松前崇広侯を紹介させていただきましたが、その補佐役が家老松前勘解由です。歴史を学んでいると、いろいろな人物について知ることできます。
生きる道を先人に学ぶ。こんな時、どうすればいいのだろう?
過去に生きた人々の生き様を知ることが大きなヒントになるのと思うのです。
(昔話の天狗はペリー、こんにゃくの役人は松前勘解由、わかりやすく?アレンジしてみました)
(参考図書)
濱口裕介・横島公司著「シリーズ藩物語 松前藩」(現代書館、2016)
【さいごに】
季節の変わり目、それは人の内面にも「変化」をもたらします。涼しくなり、すごしやすくなるといろんなことにチャレンジしたくなりませんか?スポーツの秋、読書の秋、学問の秋、わたしは断然「食欲」の秋でしょうか(笑)。
冗談はさておき、新しい習い事を始めたくなるのも秋なのでしょうか、例年この時期に当教室への問い合わせも増えてきます。授業体験、学習相談など皆様のお問い合わせ、お待ちしております。
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